下関は古くから大陸からの本州の玄関口として繁栄し、かつては赤間関・馬関とも呼ばれていました。
そんな下関市にはかつて4箇所の遊郭があったと云われています。
稲荷町遊郭、裏町遊郭、豊前田遊郭、そして今回訪れた新地遊郭です。
その中でも稲荷遊郭は壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女官らが生活のために身を売り遊女となったとされる遊郭発祥の地とも伝えられてます。
稲荷遊郭は江戸時代より非常に格式高い遊郭であり、遊女は上位につき客の上座に座り足袋を履いていたといいます。
そんな格式高い稲荷町遊郭でありますが明治に入ると山陽鉄道下関駅が開業、庶民派な新地遊郭や豊前田遊郭に客足を取られ駅から遠い稲荷町遊郭と裏町遊郭は衰退していきます。
事実、全国遊廓案内でも稲荷町遊郭は触れられておらず、位置的にも近い裏町遊郭に飲み込まれてしまったのだと思われます。
その稲荷町・裏町遊郭は現在の赤間町辺りにあったようですが、戦災のためほぼその痕跡をみることはできないようです。
稲荷神社が唯一の名残でしょうか。
一方立地的に駅から近い新町遊郭と豊前田遊郭は非常に繁栄したのですが、昭和33年の売春防止法により遊郭としての歴史に幕を閉じました。
豊前田遊郭はその後も駅前東側の繁華街として再開発されましたが、
駅西側の新地遊郭は再開発されることなく赤線時代の名残を残したまま現在に至る・・・という訳のようです。
全国遊廓案内には新地遊郭には貸座敷43軒、娼妓約300人、玉も比較的喜いのが揃って居るとの記載。
昭和5年発行のこの書には豊前田遊郭には娼妓約250人、裏町遊郭には約80人とありますから昭和のはじめには既に新地遊郭が下関一番の規模だったことが伺えます。
下関駅を下車、西側は少し寂しい漁港がありソープランドが軒を連ねます。
そんな中にポツンとある大阪屋、かの大楼「大坂屋」ではありません。
そのまま191号線を北上していくと、一際目を惹く建物が。
元旅館でしょうか、よく見るとタイル張りだったりして艶やかです。
その並びにも古い建物が。
斜めになった玄関。
凝った意匠です、間違いないでしょうな。
このタイルなんてすっごいお洒落。
横に廻ると和風の妓楼建築。
191号線から新地西町へ入っていきます。
当時の建物がちらほらと残されて、現在は民家となってます。
こうやって綺麗に保存されているのはいいですね。
スナックが数件入っていたであろう建物。
「しんち」の文字がひたすら寂しい・・・
入り組んだ道。
こんな窓のある建物も。
転業旅館でしょうか、営業はしてなさそうです。
路地裏、ほぼ当時のまんまではないでしょうか。
新地遊郭跡地、やっぱり一番の目玉はこの物件。
川を塞いだと思われる道沿いにある妓楼。
それにしてもすごい建て増し、裏を返せば繁盛していた証でもあるんじゃないかと思います。
色使いのセンスが半端じゃない。
中が気になる入口、でもタイルはかわいい。
並びにもカフェーチックな建物。
こんなに赤線跡だと主張している地区もなかなかないのでは。
個人的には富士吉田の新世界通りにも匹敵します。
なぜか玄関部分?だけが残されている駐車場。
駐車場の裏の道には「千歳湯」。
やっぱり遊郭に銭湯はつきものです、そしてここも現役。
昭和の雰囲気そのまま、時間が止まっているようです。
千歳湯のある通りの裏側は山沿いに住宅が貼りつくように建ってます。
手積みのレンガと階段。
とっても情緒ありますが複雑な事情のある地域ではないかと・・・
「余所者が来るとこじゃない」とでも言いたげ。
下関にある他の遊郭は駅の東側に位置するため再開発によりその姿はほぼ残されていません。
その中でも駅の北西に位置する新地遊郭だけは再開発の波に取り残されて当時の姿を残しています。
今回は時間の都合で他の遊郭跡地には行ってませんが機会があれば訪れてみたいもんです。
訪問日2017.01.08
えびちゃん
近くに住んでいながら、この地が遊郭だったことを最近になって知りました。ぼろぼろな建物たちが貴重な物だったとは驚きです。そして、いろいろ検索しました。
たくさんの物語があるのだと思います。残していきたい風景ですよね。
en.
えびちゃんさん、
コメントありがとうございます!
ほんとうたくさんの物語があったんでしょうね。
自分も全国の遊郭跡地に行くと感慨深いものを感じます。
なかなか難しいとは思うんですが、なるべくなら残していってもらいたいですね。