日本三大稲荷の一つとされる豊川稲荷。
その豊川稲荷の門前町には花街があったという。
まずは豊川稲荷の参道を散策、曽我の軒でまぶし稲荷きしめんを食す。
嫁に「たまには食べ物の写真でも載せればいいのに」と忠告されるも、自分自身で勝手に造り上げたと思い込んでいる世界観を壊したくないという拘りが邪魔をして載せることはできない。
腹も満たしたところで豊川稲荷に背を向け意気揚々と門前町の散策を始めたのだが、悲しい現実を目の当たりにする。
食堂河精とBarカワセが取り壊されて更地になっているではないか、参拝しなかったためにキツネに化かされているのか。
重い現実を受け止め、花街の名残があるという路地へ入ってみる。
これほどまでの路地はそうそうお目にかかれない。
このあたりの料理店には鑑札も多く残されている。
だいたいの下調べはしていたのだが、想像以上に写欲がそそられる。
路地から出て振り返ってみる。
さっきの路地は消えてなくなってしまったのではないかという錯覚に陥る。
向かい合うブロック塀。
菱形と扇形、向かい同士競い合うかのような意匠がそそられる。
どちらも花街の名残だろうか。
こんどは駅前通りの南側、三菱UFJ銀行横の小路へ入る。
錆びたトタン、塀、看板、道幅、どれもが素晴らしい。
いつは邪魔な西日がよく似合う。
完全に時が止まっているよう。
駐車場を挟んだ小路。
「みほ」も更地になっていた。
この路地にこんなに光が差し込んだことなんてなかっただろう。
門前町を散策したあと、豊川稲荷からほど近くの「圓福荘」に寄ってみた。
もう名残のある建物は少ないとのこと。
下調べ中、その諸先輩方の記事の中に「豊川稲荷には行かず門前町の怪しい路地裏だけを散策する常軌を逸した奴がるなら会ってみたい」といったものをお見かけしたが、筆者も目の前まで行っておいて背を向けた。
こんな逸れ者の筆者とよく似た癖を持つ諸兄が他にもいらっしゃるのかと思うと少し安堵するものである。
自身ではろくに調べもせず、他人の記事の受け売りをさも知ったことのように書いている当ブログが続けられるのも、根よく下調べをして取材をしてくれた先駆者が居るからである、感謝したい。
[訪廓日:2020.10.12]