かつて尼崎にはかんなみ新地とは別にもうひとつ「神崎新地」と呼ばれる青線地帯が存在しました。
神崎新地は厳密に言うと戦後からの青線なんで江戸時代や戦前からの歴史ある「遊郭」と呼ばれるものではありません、あしからず。
所謂「ちょんの間」ってところですね・・・
まぁまぁ、同じようなもんですわ。
場所は猪名川と神崎川の合流地点の戸ノ内という場所。
大阪から戸ノ内町へ行くには神崎川に架かる「モスリン大橋」という橋を渡ります。
このモスリン大橋のモスリンとはかつて戸ノ内町にあった毛斯綸紡績という会社からきています。
ちなみにモスリンとは生地の名称だそうです、ひとつ勉強になりました。
橋を渡るとモスリン橋交番。
この裏手辺りがかつての新地のようです。
早速目に付くのがなんとも味のある沖縄料理「より道」。
この辺りは沖縄出身の方が多いんで有名です。
しかしサミットって店の名称なんかな、この複合施設の名称なんかな、入口が見当たりません。
周辺は基本的には工場地帯のようですが、住宅やマンションも数多くあります。
当時の建物はほとんど建て替えられているか空き地になってるようですね。
その中でも当時のものと思われる建物がこちら。
右の建物。
倉庫に改装されてますが2階の手摺からして間違いなさそう。
窓の格子もそれっぽい。
左の建物。
こちらも倉庫に改装されてます。
2階の手摺もさることながら、裏口の庇も普通の住宅のものではなさそう。
周辺の建物もなんとなく面影があるような・・・
この家の並びにも面影のある建物があったようですが普通の住宅に建て替えられてました、残念。
こちらもそうでしょうね。
手摺がなんとなく沖縄っぽさを感じるのはボクだけかな。
この廃屋も雰囲気あるようなないような・・・
こちらはド渋な純喫茶「ルビー」。
もう長らく営業はしてなさそうです。
工場地帯の割に飲み屋が多いのは当時の名残でもあるんでしょうかね・・・
最後は遊里につきものの銭湯「日の本湯」。
正月なんでお休みですが現役です。
建物は新しいですが当時から存在していたんでしょうか。
神崎新地は阪神大震災の前後まで営業されていたと聞きます。
もし震災がなければ現在も営業していたのかもしれません。
災害は多くの人の運命を変えてしまったんですね。
訪問日2018.01.03
ヤマグチヤスヨシ
昭和40年頃何度か遊びに行きました10時過ぎると泊で行きました。
あの橋が鮮明に残っています、建物懐かしいです。