全国遊廓案内によるとかつて大津市には4つの廓があったようです。
上柴地遊郭、下柴地遊郭、甚七町遊郭、眞町遊郭の4箇所。
今回訪れたのは上柴地、下柴地とよばれた遊郭のあるあたり。
同書では場所は特定できないんですが、諸先輩方のブログを見れば間違いなさそうです。
ちなみに甚七町は石場駅付近、松本の旧地名。
眞町は長等公園近辺の旧地名、偶然か否か付近に赤十字病院があります。
そして上柴地・下柴地遊郭跡地は現在の地名で言うと長等3丁目の付近となります。
どうして柴屋町遊郭と云われるのかは調べがつきませんでしたが、赤線時代になってからの一帯の総称として使われていたのではないかと勝手に思ってます。
早速、柴屋町遊郭を巡るにあたって避けられない有名な物件。
かなり朽ち果てていますが一目見てそれとわかる意匠はかなりの存在感、威圧感があります。
その間には百々川(どどがわ)と呼ばれる小さな川があるのですがこの川、実は大津城の内堀の遺構であるとのことです。
(前身のブログで教えていただきました、ありがとうございます。)
ぬけられました場所には立派なカフェー建築風の建物が。
諸事情で全景が撮れませんでした・・・
この南北の道がおそらく目抜き通りではないかといつもながら勝手に推測します。
少し北に行くといかにもなスナック街が。
この先も「ぬけられます」。
コの字になっている路地。
縦格子の長屋、奥にはワインルーム「ヒデノヤ」の看板。
「日出の屋」風俗営業・料亭の札が今も残ってます。
「ヒデノヤ」も「日出の家」も今は営業していない模様。
ひとつ北の路地へ、民家の軒下から入るとかつての屋号と思しき看板が。
庇が接触しそうなほど背迫り出ています。
ん?なんかこの辺りだけ明らかに空気が違うな・・・
さすがにあれなんで載っけませんが路地には洗濯物がこれでもかと干されています。
他の路地も生活臭はあるんですが・・・
一番奥には突然洗濯機が。
なんとここは飯場、しかも中で数名がテレビを見てます。
さっきガレージ越しに見た2階部分はここだったんですね・・・
いわゆるドヤでございます。
中の爺さんと目が合い、さすがに怖くなって逃げ出すようにこの路地を後にしました。
でも途中の開いてる扉からは2階が。
ほんとこんなことしてる場合じゃないくらい怖かったけど・・・
※2019年追記:長崎屋食堂さんは惜しくも廃業されたようです
浜大津駅付近、みなさんこぞって集まってこの電車の写真を撮ってました。
なんかわかんないけど自分もパシャリ。
帰りは五条新地に寄りたかったけど、体力が持たなかったんで(訪問は8月・・・)おとなしく帰宅。
中書島には先日行ったけど、五条新地は未だ未開拓でございます。
【訪廓日 2016.08.27】
第四玉手箱
近年持病を得て、半年に一度、近隣の日赤病院に通うことになり、食事の後、この近辺の喫茶店に寄るのが習慣になりました。
ママさんは戦後生まれだけど、お父さんが戦後遊郭を経営していたとのこと。赤線廃止に伴い、後を継いだママさんはスナックを営んでいらっしゃったそうです。
今は純喫茶として営業されてます。