日本三景のひとつとして名高い「天橋立」がある宮津市にもかつて遊郭があったそうです。
地唄の丹後節では、
「二度と行くまい丹後の宮津、縞の財布が空となる」
「丹後の宮津でピントダシタ、縞の財布が思ひの種で、二度行くまいとて三度行った丹後の宮津でピントダシタ」
(なんちゅう下ネタやねん・・・)
・・・と言われたほど大変格式高い高級な遊び場だったようです。
京都の京芸者に対抗して宮津芸者という言葉もあるくらいだとか。
宮津の遊郭は江戸時代に市中に散らばっていた遊女屋を今の新浜に集め囲ったのが発祥とされています。
当時は東新地と呼ばれ現在の住所でいうと魚屋町の北側あたり、海に面した土地にあったといいます。
毎度おなじみ「全国遊廓案内」によると、慶應2年にはこの東新地が万年遊郭へ合併を命ぜられ移転をしたものの、明治11年には再び新浜遊郭が許可され、万年遊郭は全廃を命ぜられたという数奇な運命を辿った遊郭であることがわかります。
現在の地図を見ると魚屋町と新浜町は隣同士なんで、実質「東新地」に戻ってきたというところでしょうか。
ちなみに万年遊郭のあった地には今も「万年新地」という地名だけが残っています。
当時の面影はまったっくありませんが・・・
さてこの新浜遊郭「全国遊廓案内」の刊行時点、昭和4年には貸座敷59軒、娼妓は84人、芸妓も56人は居るとの記載。
宮津市の中心地にある新浜町。
当時のものかどうかはわかりませんが、面影のある建物も残されてます。
検番の跡地にはこんな案内も。
風情のあるスナックの横には路地。
路地にもスナックや料理屋が。
いいですね~、こういう場所。
路地のスナックには鑑識(カフェー)も。
スナック街ですが、今はかなり廃ています。
地方都市です、無理もないですね・・・
これまたド渋い喫茶&スナック「駅馬車」。
コマンドには「酒場」の鑑識も。
新浜町の西端にある立派な旅館「茶六本館」。
重要文化財に指定されてます。
当時の新浜遊郭とは無関係らしいですね。
ここから更に西へ歩くと万年新地なんですが、さきほども触れたように面影は全くありません。
今度は新浜町の東側、魚屋町方面へ。
こちらも当時のものでしょうかね、素敵な造りです。
この辺りにも管理人好みの路地が。
その名も「勘左衛門小路」。
小路のスナックにも「カフェー」の鑑識がありました。
結構残ってるんですね~。
妖しい店の脇にも、
今度は「浮世小路」これはタマラン。
昔は芸者さんがこの路地を歩いてたんですかね~。
「レディヤン」一度入ってみたかった・・・
最後に魚屋町の北側、現在の島崎という場所にある「清輝楼」という旅館。
江戸時代の東新地はこの辺りだったらしいのですが、「清輝楼」は至って普通の高級旅館のようです。
この日はこの後、舞鶴にある「朝代遊郭」にも寄ったんで近いうちに更新します。
関係ないですがこの日管理人en.は新しい車(中古車ですが・・・)の納車日でして、喜び勇んでノリでここまで来てしまったのです。
しかもいきなりキャンプという車にしてみたらスパルタンな行動で、「今度の持ち主は甘くないぞ」と叩き込んでやりました。
これからもいろんな場所に出掛けたいと思いますんでよろしくお願いいたします。
訪問日2017.09.09