和歌山県南部の中心地、田辺。
熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で「口熊野」と称され古くから栄えたこの町にも遊里の痕跡があります。
その名も「田辺新地」。
諸先輩のブログ記事では芸妓、舞妓が昭和初期で120名~140名ほど在籍していたと書かれています。
全国遊廓案内には記載がありません。
場所は現在の住所でいうと上屋敷一帯、会津川の河口のほど近く。

田辺新地に足を踏み入れると更地が目立ちます。
残念ながらこの辺りにあった置屋やアーチは近年大火事に見舞われ消失してしまいました。
今はもう面影がありません、更地には次々と新家屋が建っています。

田辺新地と書かれた電灯がそのまま残されてます。
電柱にも新地の文字が。



奥まで進むとそれらしいカフェー建築も。

お隣には入母屋破風の建物。
やっぱり和歌山では唐破風よりもメジャーだったんですかね。

目抜き通りの奥から。
こちらからだと当時の雰囲気も少し感じられます。

目抜き通りのひとつ北の通り。
こちらの通りにも当時の建物が数軒残されています。

やっぱりありました。
当時の屋号と鑑識(料理屋)。

こっちにもありました。
和歌山にはなんでこんなに鑑識が残されてるのか、不思議です。

会津川の手前にもなんともいえない物件が。

さきほどの家屋をそのまま左へ進むと田辺城水門跡。

戻ります、こちらはスナックに転業したんでしょうか。

あんまもあります。

こちらはもうちょっと北に歩いた場所にある旅館。
かなり味のある旅館ですが、新地と関係あるのかどうかは不明です。

そして田辺新地で欠かせない物件、料亭「あしべ」。
現在も営業しているのかどうかはわかりませんが、かなり立派な建物です。

「田辺新地」の灯篭に丸窓(の跡)。

並びには「ぬけられ」そうな路地が。

さきほどの路地の奥には割烹「やすだ」の看板が。
さすがにもう営業されていない感じですね。

路地入口横、タバコ屋のタイル使いが素晴らしい。

その並びにも鑑識(料理屋)が。
御坊でもいっぱい見たんでもう見飽きました・・・。


田辺新地の北西角まで来ました。
斜めに抜ける道路が「廓」らしさを醸し出してます。

県道210号に抜ける手前、橋の跡でしょうか。


「和」・・「架」?ちょっと読めないですが、思案橋の名残かもしれませんね。
ちなみにスタバのカップは僕が置いたものじゃありません、あしからず。
田辺新地は遊郭や赤線ではなく、花街だったという情報もあります。
通りすがりのおっちゃんも「昔この辺りは芸者さんの街やったんや~」と言ってました。
実際はどうなんでしょうね。
あまり突き詰めないほうが神秘的でいいのかもしれません。
訪問日2017.08.12


