福知山の遊郭の歴史は明治時代、由良川の音無瀬橋下流左岸、現在の下柳町付近に貸座敷が数軒営業を開始したことが始まりとされてます。
土手町と呼ばれたこの遊郭は明治29年の大水害により甚大な被害を受け、その後川を挟んだ猪崎地区に移転しました。
その後、歩兵第20連隊が福知山に移駐してきたことでこの猪崎遊郭は大賑わいすることになったそうです。
猪崎遊郭の特徴は各地で禁止されていた貼り見せ(遊女が直接店頭に座り客引きをする)が行われていたらしく、大阪や神戸からも訪れる客がいたとかいなかったとか。
・・・っと、ここまでがWikipediaの受け売り。
全国遊廓案内には福知山遊郭として記載あり。
茶屋揚屋78軒、娼妓160人、芸者100人とあり、陰店式で「素晴らしい発展振り」とまで書かれてます。
場所は福知山市街から由良川にかかる音無瀬橋を渡ってすぐ左に折れた辺り。
由良川に平行して流れる小さな川に架かる橋を渡ると猪崎遊郭。
所謂思案橋ってやつですね。
手前の橋が・・金・・常・・橋?
北側にかかるのが城山橋。
おそらくこちらが目抜き通りだったと思われます。
猪崎遊郭といえばこの物件でしょう。
堂々の唐破風とベンガラの壁。
そしてもひとつ。
こちらはリフォームされてますが唐破風はそのまま。
これだけの規模の妓楼がしかも2軒揃って残されているのは素晴らしいことじゃないでしょうか。
さすがわかってらっしゃる。
目抜き通りの一番奥、カフェー調の物件。
こうゆうのも旧赤線地帯ではたまに見かけますよね。
あと、特定の政党ポスターも。
まあまあ・・・
大きな物件が当時の繁栄を思い起こさせます。
中を覗ける廃墟、ちょっと失礼。
「こうなってるんか、なるほどなるほど・・・」
路地には塞がれた丸窓。
そしてむこうに見えるタイルが艶めかしい。
そしてもうひとつ外せない物件。
なぜか3階部分だけが当時のまま残されている建物、お城のようでもあります。
早朝、猪崎城跡から望む猪崎地区。
めっちゃ今更ですが猪崎新地は「いざき」新地と読みます。
駅から遠い遊里は町自体が廃墟みたいになってしまうところも多いんですがここ猪崎新地は上手く住宅地に溶け込んで残っている印象です。
他では見られないような規模の物件も数軒残されていて見応えは十分じゃないでしょうか。
訪問日2016.10.15