町家物語館として一般公開
大和郡山市の洞泉寺遊廓にある旧川本家住宅が平成30年1月より町家物語館として一般公開されています。
洞泉寺遊廓は当ブログでも東岡遊廓と並んで一番はじめに記事にした遊廓なんで個人的にも思い入れがある遊廓です。
前回訪れたのは平成28年12月24日(なんちゅう日に行っとるねん・・・)。
当時は川本家住宅は改装中で、いつかまた行こうと思ってたので今回の一般公開はとても嬉しいニュースでした。
前回の記事もよければご覧ください。
今回はなんとなくJR郡山駅から徒歩で洞泉寺遊廓跡まで。
旧川本家住宅の改装工事以外に変わったところもなさそうです。
それにしてもここ洞泉寺遊廓の建物の縦格子は見ごたえあります。
この奥が旧川本家住宅。
耐震工事もされてリニューアルしてますが、外観はほぼ当時のまま。
やっと見れた3連「桃尻」。
前回は足場で隠れてましたもんで。
玄関も凝った意匠。
おもちゃの金魚が泳いでました。
1階の受付近くの娼妓溜りと呼ばれた部屋では当時の資料の展示も。
川本楼のメニュー。
夕刻ヨリ朝マデ拾五円・・・わかれへんけど、5万円くらいかな?
男衆が着ていた法被。
案内のおばちゃんには2階から案内されたんで順番どおりに。
ひととおり案内された後は立ち入り禁止の場所以外は好きに観覧できます。
2階にあがるとすぐ大きい丸窓。
丸窓のすぐ脇にある髪結いの間からは例の「桃尻」が内側から見えます。
実はこれ桃でも尻でもなくて「猪目窓(いのめまど)」といって災いを除き、福を招くという意匠だそう。
それにしても、なんでここだけ塗装が中途半端なんやろか・・・
こちらが3階へ続く大階段。
ひな祭りの季節にはここに雛飾りが展示されるそうです。
廊下には当時のガス灯も。
2階から見える中庭。
遊廓独特の造りですね。
3畳ほどの客間は売春防止法施行後、下宿として使われてたそう。
2階は太い木の間に細い木を2本挟んだ「2本子持ち」という意匠の格子。
1階は細い木を3本挟んだ「3本子持ち」、3階は太い木だけの格子だそうで、各階で意匠を変えてるんですね。
凝ってます。
各部屋入り口上部の小窓を塞いでいた新聞。
なんと売春防止法施行当時の昭和33年モノ。
誰なんだろうか。
お次は3階へ。
3階へ上がると刳り貫き窓がお出迎え。
「結核像防デー」張り紙が時代を感じさせます。
3階の格子は全部同じ太さのもの。
2階、3階の観覧を終えて1階へ。
1階の洗面所。
洗面所の奥は従業員専用の風呂場。
浴槽は埋められてます。
風呂場の天井には大きな家紋。
そしてその奥が松竹梅の意匠が印象的なお手洗い。
さすが改装間もないため中は非常に近代的で綺麗なトイレでした。
裏庭の景色。
左側の軒下では金魚が泳いでいたそうです。
帳場の左側のガラスは正面玄関が覗けるようにハート部分だけ透明になってます。
当時の女性もこれを「カワイイ」と認識してたんでしょうかね。
帳場の裏にあたる部屋。
ここが娼妓やお店の人達の生活スペースだったようで、建具も一段と手の込んだ造りなんだそうで・・・
当時のロッカー?女性の名前が書かれてます。
下宿宿時代は小物入れと知らずに下駄箱として使っていたそうな。
よくぞこの状態で残ってくれていたもんです。
この奥に見えるのが大広間。
この廊下の右側にも階段があって、上手くお客さんと鉢合わせないような工夫がされてるんですね。
そして中庭。
井戸もあります。
大広間には川本家の家紋。
最後は大広間から望む中庭。
後ろが裏庭になっていて風通しもよくて気持ちよかったです。
冬には雪見窓もあってさぞ風情あったんでしょう。
川本楼は大正13年に建築された遊廓で、平成26年には国の有形文化財として登録されてます。
売春防止法施行後は下宿へ転業、その後はご主人がお住まいになられていたそうで、その後大和郡山市が購入、耐震工事を施して町家物語館として一般公開に至ったという経緯です。
なんと購入金額と耐震工事で1億6千万円近くかかっているそうな・・・
洞泉寺遊郭周辺には今も9軒の遊郭建築が残されているそうです。
全国各地では捨て置かれる妓楼も多い中、こうやって大事に保存されている建物を訪れると感慨深いものがありますね。
とてもいいものを見させていただきました。
訪問日2018.04.28