前回に引き続き、今回も博多にあった遊里でございます。
前回の新柳遊郭ですが「新」というからにはもちろん「旧」柳町遊郭も存在していました。
場所はかつて大浜と呼ばれていたあたり、今の下呉服町近辺がかつての遊郭地だそうです。
旧柳町遊郭は明治44年に新柳町へ移転し、その跡地は大浜小学校となりその大浜小学校も閉校となったいま特別支援学校が建設されているようです。
さて、今回訪れたのはその柳町遊郭があった下呉服町から大博通りを挟んだ西側、紙屋町周辺にあった赤線跡。
この大浜には戦後ドヤ街が形成され、必然と赤線地帯が出来上がったようであります。
全国女性街ガイドには120軒に450人の女がいたと書かれています。
大博通り神屋町交差点。
この交差点を御笠川のほうへ曲がると旧柳町遊郭、那珂川方面へ曲がった一帯に大浜赤線時代の建物がいくつか遺されています。
今回は時間的な都合で面影の全くない旧柳町遊郭には行かず、赤線時代の遺構散策へ。
神屋町の住宅街の中、忽然と残されている2階窓の意匠が特徴的な建物。
この近くにもカフェー建築があったんですが、取り壊されてマンションになってました。
ぱっと見は倉庫のようですが、玄関と窓の装飾がそれっぽい意匠。
そして大浜赤線随一の遺構がこちら。
贅沢なタイル使いがたまりませんな、THE・赤線という感じ。
そのお向かいのスナックもかなりいい感じ。
周囲は新築のマンションや住宅がかなり建設されていて当時からの建物はもう数少なくなってます。
どこまでが関係のある遺構かどうかは今となってはわからないんですが、赤線地帯であるこの街を構成していたことは間違いないでしょう。
2階のタイルが特徴的な建物。
博多駅までの帰り道、昭和通りのほうへレンタサイクルを走らせていたところかなり好みの小路を発見。
戦後ドヤ街として栄えていた大浜なんで、至る処にこういった趣ある小路が遺されているんでしょう。
しかし同じドヤ街でも大阪の西成とは全然雰囲気が違いますな。
まぁあちらはドヤ街としても現役であるからではございますが・・・
ぜんぜん話は違いますが、新柳町と旧柳町(大浜)の散策に役立ってくれたのがこのメルチャリ。
メルカリが運営するレンタサイクルで今は博多でだけ運用されているようですが、ぜひ全国各地で運営してほしいですね。
旧柳町遊郭は安土桃山時代から明治時代まで続いた遊郭で、高杉晋作も楽しんだ場所なのだとか。
遊郭の姿は全く残っていませんが、この地の遊女の姿が博多節となって残っています。
「博多柳町 柳はないが 女郎の姿が 柳腰」
訪問日2019.09.04