京都 五条楽園 後編(高瀬川西側)
京都にある五条楽園を散策してきました、の後編です。
このページから入ってこられた方は下記リンクにて前半をご覧ください。
後編は高瀬川の西、河原町通側を散策します。
梅湯の前の橋を渡り、少し北へ進むと高瀬川舟渡し場跡の石碑。
さぞ風流だったんでしょうね。
並びには2つある扉とタイル柱のコラボ。
車除けの石の危険色も味と捉えましょう。
こんな意匠の壁も。
手間かかってるんでしょうね~。
前編最後に紹介したお茶屋「本家三友」の斜交い向かいに位置するお茶屋「羽衣」。
屋号が外されてますね、改装中なんでしょうか。
かつてのお茶屋を改装して営業している「雅楽庵」。
それにしても綺麗に改装されてます。
リフォーム中のお茶屋をちょっと覗くと飾り窓が見えました、ラッキー!
お茶屋「羽衣」横の路地を入ると五条楽園でも一際ド派手な「新みかさ」があります。
全面タイルに飾り窓、ここまでやるか。
五条会館、かつての歌舞練場です。
当日は越前屋俵太さんのイベントが行われてました。
こんなところにも唐破風の建物。
お茶屋「梅鉢」。
玄関まわりのアールがすごい存在感のあるカフェー建築。
かなり洒落た飾り窓です。
弁天湯、今も営業してるんんでしょうか。
弁天湯の近くの路地にもかつてのお茶屋が並んでます。
猫の通り道。
そして五条楽園、最後の物件。
現在は店舗となってますが、かなりモダンなカフェー風建物。
窓もさることながら、床のタイルもお洒落。
こちらのステンドグラスもかなり凝ってます。
当時からのものなんでしょうか。
前編・後編と2回に分けてお送りした五条楽園。
平成の世になるまで営業していたことと京都という土地柄、かなりの遺構がそのまま遺されてます。
戦前からあるようなお茶屋や遊郭建築だと保存という動きにもなるんでしょうが、
戦後赤線時代のカフェー建築などはほとんどが取り壊されてしまうのが宿命です。
そんな中、数多く建物が遺されてる五条楽園は管理人のような特異な人間にとっても楽園と呼べるような場所でした。
訪問日2017.06.24