京都 五条楽園 前編(高瀬川東側)
日本が誇る観光地、京都にある五条楽園。
なんとこの五条楽園、つい数年前まで営業されていたそうです。
五条楽園はもともと七条新地と呼ばれ親しまれた遊郭で、戦後は赤線として営業を続けていました。
1958年の売春防止法施行後も五条楽園と名を変え営業を続け、当時はお茶屋84軒、置屋16軒、旅館15軒、バー・スタンド19軒で芸妓100程度を擁していたとのこと。
しかし2010年に一斉検挙を受け、翌年にはお茶屋組合も解散し完全にその幕を閉じます。
五条大橋からみる五条楽園跡地。
五条楽園は五条大橋の南西、鴨川と河原町通りに挟まれた高瀬川沿いにあります。
関係ないけど、鴨川って都会を流れてる河川なのに水が綺麗ですよね、釣り人もいます。
ほんといい意味でいい雰囲気です。
高瀬川沿いに咲く紫陽花。
高瀬川にはこのような小さな鉄製の渡しが所々に架けられてます。
五条通から高瀬川沿いを南へ歩いて行くとかつての五条楽園の正面玄関、梅湯前。
かつてここに五条楽園と書かれた看板が掲げられていたそう。
左側に警察車両が停まってますが、某博徒系列事務所があるのは触れないでおきましょう。
まずは高瀬川の東側を散策。
梅湯の裏側に早速香ばしい3階建ての看板建築を発見。
五条楽園はつい数年前まで営業を続けていただけあって保存状態のいい物件がたくさん遺されてます。
あまり多いんで管理人が個人的に惹かれた物件だけ足早に載っけていきますね。
2階には大きな飾り窓も。
カーテンを開けてくれているのはサービスでしょうかね。
ちょっと話が逸れますがこれは任天堂発祥の地。
当初は花札を作っていた会社です。
この地にあるのはたまたまではありますまいな。
さて、散策を続けましょう。
この角に隣り合った玄関のある意匠、これぞ赤線時代の名残って感じです。
こちらは五条楽園のちょうど中央付近。
入り組んだ道にこの看板、そして唐破風の建物。
いやぁ、来た甲斐ありました。
京都でも異彩を放つ雰囲気。
これだけのものが遺されてるのはかなり貴重なのでは。
高瀬川まで戻りました。
かつてのお茶屋の多くが外国人向けの旅館に転業しています。
そして高瀬川沿いにあるお茶屋「三友」。
かなり立派な建物です。
高瀬川沿いにももうひとつ唐破風が。
看板が「二友」になってます。
これでとりあえず高瀬川の東側一帯を散策し終えました。
実はこの五条楽園、建物としての見所は高瀬川の西側にあります。
もちろんこの後高瀬川を渡って西側も散策しています。
五条楽園は物件がかなり多くって1回では伝えきれないので前編後編に分けたいと思います。
後編・高瀬川西側もどうぞご覧ください。
訪問日2017.06.24