3件のコメント

  1. 堀江 義明

    今から40年近く前、会社の独身寮が隣の楠葉にあり、自転車であちこち出掛けていました。京都の帰り道、たまたま橋本遊郭に入り込み、建築物の様式、2階の欄干、特に装飾のステンドグラスを見た時には何とも言えない不思議な気持ちに襲われました。そして直ぐに遊郭の名残と理解出来ました。と言うのも、私の生まれ育った東京都のH市にも、もっと規模の大きな遊郭跡があり、その一角だけやけに広い道路で良く遊んでいたからです。50年前には、まだまだ立派な欄干のある建物が沢山ありましたが、今はその広い道路以外に残念ながら、その風情を残しているものはありません。橋本のこの様な建物が長く残る事を祈りますが、多分難しいのでしょう。いつか機会があれば、再訪したいと思っています。

  2. nima

    はじめまして。
    たまたまこちらのページにたどり着き、読ませていただきました。
    私は女性ですが、遊廓の建築がとても好きです。技術だけでなく時代背景と哀愁も含めて…
    私は名古屋在住で、偶然中村遊廓の近くに住んでいますが、ここも素晴らしい建物が残っています。
    昨年末、市の文化財だったにもかかわらず、所有者の意向で一軒取り壊されました。
    訪れたことがあるかもしれませんが、痕跡が無くなってしまう前に記録を残して頂けると幸いです。。

  3. 旗手

    今でも橋本遊廓跡の住宅街、圧巻です。「大坂あそ歩」のガイドをしていますが、ここまで足を延ばしました。ひっそり歩いて「やをりき」をのぞいてください。検番はもう取り壊されました。淀川の土手にあがって対岸の大山崎を見るもよし、上(かみ)の方向、右側から合流する木津川も思い、石清水八幡の存在も大きい、あの歴史に残る京街道が橋本遊廓を通っている。あの鬼龍院花子の生涯のロケ現場の橋は今はありません。

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