ついに真打登場といったところでしょうか。
このブログを始めるにあたって一番初めに橋本遊郭のことを書こうかと思っていたんだけど、なんとなく書けずにいました。
関西在住の筆者にとっては特別な存在で、遊郭のことに興味を持ったのもこの地を訪れたことがきっかけです。
先日、その橋本遊郭に改めて行ってきました。
全国遊廓案内には八幡町遊郭として記載があり、貸座敷の組合員が75人、娼妓470人、芸者30名と云う大舞台に成って居ると書かれています。
恰好良すぎるいで立ち、駅の西側が全部遊郭の許可地だったとか。
どこから攻めようか迷ったけど、北からいきましょう。
看板もさておき、玄関の欄間が渋い酒屋。
さっきのやをりき食堂といい手の込んだ造りの建物が遊郭のある地区には多く、地域の経済効果たるやすごいものがあったんやろなぁと思わせてくれます。
酒屋の隣の建物、いやもう文句なし。
この橋本遊郭に至ってはやれタイルがぁ~、やれ欄間がぁ~、ってなコメントは差し控えさせていただきます。
橋本にはこんなマニア悶絶級の建物が数多く残されてるんできりがない。
そのまま真っ直ぐ進むと淀川の土手の手前に流れる大谷川に架かる思案橋。
昔は橋本から大山崎まで渡し船があったそうです。
橋の袂にある町内案内図。
ただ昔からあるものではないみたいですね。
その斜め向かいの物件。
すごい、なんか言いたい・・・
多津美旅館、ステンドグラスが特徴的。
中にはダンスホールが残されているんだとか、一度宿泊してみたいなぁ。
今も2階の窓から遊女が顔を出してそう。
ほんまに見えたら怖いけど・・・
色々な地域の妓楼を見てきたけどここ橋本遊郭の建物はどれも重厚感が凄い。
ハリボテな感じが一切しないです、長く残るわけですわ。
こちらは美容院。
ほんとに保存状態のいい建物がたくさんあります。
とか言ってたら通りの南端に到着。
遊郭にはつきものの銭湯「橋本湯」、つい最近まで営業してたそうですが閉店してしまったようです。
京阪特急、ダブルデッカーと妓楼が妙にマッチする(・・・と思うの僕だけかな?)。
最後に線路の東側、踏切を渡った先にある天壽荘、元歌舞練場らしいです。
昨年の夏にも訪問してるんですが、やっぱり順次取り壊されてるように思います。
やっぱり教育やなんやといろいろと都合の悪いものなんかな・・・
訪問日2017.03.12
これだけの雰囲気を今も残す橋本遊廓は数多くの映画・ドラマのロケ地として選ばれてます。
仲代達也主演「鬼龍院花子の生涯」もここ橋本で撮影されたシーンが使われていますね。
堀江 義明
今から40年近く前、会社の独身寮が隣の楠葉にあり、自転車であちこち出掛けていました。京都の帰り道、たまたま橋本遊郭に入り込み、建築物の様式、2階の欄干、特に装飾のステンドグラスを見た時には何とも言えない不思議な気持ちに襲われました。そして直ぐに遊郭の名残と理解出来ました。と言うのも、私の生まれ育った東京都のH市にも、もっと規模の大きな遊郭跡があり、その一角だけやけに広い道路で良く遊んでいたからです。50年前には、まだまだ立派な欄干のある建物が沢山ありましたが、今はその広い道路以外に残念ながら、その風情を残しているものはありません。橋本のこの様な建物が長く残る事を祈りますが、多分難しいのでしょう。いつか機会があれば、再訪したいと思っています。
nima
はじめまして。
たまたまこちらのページにたどり着き、読ませていただきました。
私は女性ですが、遊廓の建築がとても好きです。技術だけでなく時代背景と哀愁も含めて…
私は名古屋在住で、偶然中村遊廓の近くに住んでいますが、ここも素晴らしい建物が残っています。
昨年末、市の文化財だったにもかかわらず、所有者の意向で一軒取り壊されました。
訪れたことがあるかもしれませんが、痕跡が無くなってしまう前に記録を残して頂けると幸いです。。
旗手
今でも橋本遊廓跡の住宅街、圧巻です。「大坂あそ歩」のガイドをしていますが、ここまで足を延ばしました。ひっそり歩いて「やをりき」をのぞいてください。検番はもう取り壊されました。淀川の土手にあがって対岸の大山崎を見るもよし、上(かみ)の方向、右側から合流する木津川も思い、石清水八幡の存在も大きい、あの歴史に残る京街道が橋本遊廓を通っている。あの鬼龍院花子の生涯のロケ現場の橋は今はありません。